さいきんは着物に靴を合わせている
四月は二回着物を着た。お花見と友人の結婚パーティと。さいきん始めてみた試みとして、着物に靴を合わせている。
これはお花見の日。ちょうどいい色合いの緑の縦縞。祖母のお下がりだけれど、なかなかのモダンさで気に入っている。
この日は長めに歩いたから靴でよかった。草履だとなかなか一時間近くは歩けない。着物のデメリットとして長時間歩けないことがあったけれど、これならいいな。着物はもう少し短めに着付けたほうがいいかもね。
こっちは友人の結婚パーティ。ちょっとカメラを向けると、靴に夕日が映ったのがとってもキュートだった。つやのある靴はうれしい。
黒地に水玉という色のない着物だったので、重ね衿にはおめでたく赤を入れてみる。見えないけど髪飾りとリップも赤。小物ひとつでがらっと変わる。あれこれ色のバリエーションを考えられるのも着物の楽しいところ。
ヒントは卒業式などで見かける袴にブーツの着こなしから。お母さんには苦い顔をされたけれど、わたしは好きなように合わせたらいいと思っている。あくまで服なのだから。シュチュエーションは大切にしたいけどね。今回は、同年代の子たちが集まるカジュアルな場所に行くのと、柄がモダンだったから思い切って試してみた。つぎはヒールのある靴も合わせてみたいな。
ブログ名を〈ゆるりデザイン研究所〉という名前に変更しました
長らく〈 yulily100's blog 〉というそのまんまというか、特に色のないブログ名だったんですが、〈 ゆるりデザイン研究所 〉という名前に変更します。わたしの中学校のときのあだ名が「ゆるり」だったんですけど、あらためていいなって思って。笑
気取らず、無理せず、ゆるくいこう。やわらかいお湯のような、あたたかい波のような、居心地のよい温度感みたいなものをロゴデザインには込めました。社会人になってもうすぐまる五年(!)なんですけど、わたしにはこういう過ごし方が合ってるなあと、しみじみ思っていたわけです。
「研究所」っていう名前は、なんていうかこう、日々の出来事をそのまま書くんじゃなくて、すこし実験的な気持ちで過ごせたらいいな、っていう願望です。いままでなんとなくやり過ごしていた瞬間に、名前をつけていくようなことがしたい。あとはなんとなく理系っぽい名前なのがいい。「ゆるり」っていうぼんやりしたイメージと「研究所」っていうかたいイメージが合わさっているのもちぐはぐしてていいし。
ほんとはね、デザイナーをやっていくのに「ゆるりデザイン」って屋号にしたかったんです。けどそれより先に「研究所」ができちゃった。いやいや、そのうち出しますよ、きっとね。
そんなこんなでこれからは〈 ゆるりデザイン研究所 〉をよろしくお願いしますね。URLも変わって〈 blog.yururi.design 〉になりました!
壬生をあるく
友人の事務所を訪ねるために、未知のエリアである壬生へ行く。すこし話したあとは餃子屋さんで餃子定食(小)を頼んだ。大・中・小とありごはんの量が違うのかな?と思いきや、違うのは餃子の数。もりもりと盛られたごはんに、餃子が八個。そしてスープ。味噌だれで食べるのがおいしい。素朴なカウンターからは調理の様子が一部始終伺える。具材を皮に詰める手が近い。そして奥には居住スペースがあるのが見える。いいな、こういうの。また来たいな。
大阪へ向うために西院駅へ。阪急電車の緑色のランプの電車は目の前で行ってしまった。次のを待っているが一向に来る気配がない。すこしして何か放送が入る。一度目はマイクが途切れ途切れでよく聞こえなかった。二度目に「摂津駅での車両点検のため運転を見合わせています」と聞こえる。あらら、逃しちゃったのが最後だったか。十分ほどぼーっとしていたけれど、諦めてJRの駅まで歩くことにした。
JR丹波口駅までは二十分ほど。なにもない道で踏切のようなカンカンカンという音がする。お隣の自転車のお姉さんが止まっていたのでわたしも止まった。すこしすると目の前を路面電車が横切った。それからまたすこし歩いて、なんとなく目についた踏切を渡ったのが大正解。小さな商店街のようなところに出た。アーケードではないが、大きな屋根というか、テントのようなものがついていた。個人の店が並ぶ。お肉屋さんと豆腐屋さんが二件ずつあったのはなぜだろう。バーのない踏切も、屋根式の商店街も、はじめて見た風景だった。
電車を逃しちゃったのは残念だけど、新しい景色を見るのはわるくない。余白のある日々はいいものだ。夫には大阪のおみやげに〈551の豚まん〉と〈りくろーおじさんのチーズケーキ〉を買って帰りました。「溶ける〜!」って言って喜んでた。
日曜夜のコーヒーと本
週末の夜にだけオープンするコーヒー屋。きょうはコーヒー酒があるというのでそれを飲んでいた。茶色い液体がとろりとしていて、口当たりに甘い。いくらでも飲めてしまいそうな危うさ。これはいいな、また飲みたいな。コーヒー屋さんなのにコーヒーを頼まないまま出てきちゃった。夜眠れなくなりそうなんだもの。次は序盤に頼むことにしよう。
このコーヒー屋というのは、同僚がやっている。趣味なのかなんなのかはよくわかってない。週末の夜にだけお店を開けている。個人のお店としてはすこし広い店内の、微妙にあいた距離の中ぼーっと本を読んでいた。会話をするべきなのかというじりじりとした緊張感。読んだのは穂村弘の「世界音痴」。さいきんなくなっていた書きたい気持ちがすこしだけ潤った気がする。出してばかりでもダメだね。バランスが大事なんだな。
- 作者: 穂村弘
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料理動画で毎日がちょっと楽しくなった
我が家の二〇一八年の最初のブームはお料理のようです。と言ってもここ数日の話なんだけど…。会社から帰ってきて、わたしが何か作る間に夫も何か作る。するとあら不思議、自分が作ったのとは別のもう一品ができているんです。当たり前のこと言ってるみたいだけど、ちょっと違うんだな。たとえば二人で手分けしてこの二品を作ります!とかだったら、片方は切る係、もう片方は炒める係になる。そうすると二品分の段取りについて気を使わないといけない。それから、どちらか一人が指示を出す形になって、もう一人はお手伝いになってしまう。効率的でいいのだけれど、どうしても相手のことが気になってしまうし、達成感が得られにくい。
それが、一人一品だと、一つのことに気にかけている間にもう一品が出来上がってる。これ、なんだか魔法みたいじゃないですか? (気にかけることに力を使いすぎ、ってのもある)そんな感じで、わたしがオムレツを作っている間に夫はお味噌汁を作ってくれている。おかずが二つあると見た目にも嬉しいね。一日の終わりのささやかな楽しみ。
料理をするようになったきっかけはいくつかあるんだけど…。その一つに、料理動画アプリというものがある。〈クラシル〉というのを使っているんだけど、これがかなり良い。料理というと、味を舌で覚える職人技か、はたまた1gの誤差も許さない理科の実験か。なんだか失敗してはいけないような気難しいものと思っていたけれど、動画を見てると、このくらいふんわりした気持ちでもできるんだ、と思えてくる。あまり料理に慣れていない夫が「これなら作れそう!」と言って何かやり始めたりする。レシピのクオリティが安定していて失敗しないところ、レシピの数が多すぎないところ、なんか難しそうな具材を使っていないところ、ボウルに【★】を加えます、なんて書いてないところ、料理の行程を俯瞰しやすいところ、などなど、良いなあと思うところがたくさんある。それをぜんぶまとめて、わたしたちの日常に楽しい時間が増えた、というのが、なんというかとにかく素敵だな、って、同じサービス開発者としては思うわけです。
わたしはわたしなりの人生をおくるんだ
アラジンのトースターで焼くおもち。表面がぱりぱりでおいしい。この正月は、こどものころ母親が焼いてくれたのを思い出してた。そして、十二月から始まったわたしの冬休みは今日で終わりのようです。十七連休、長いようで短かったな。明日から仕事が始まるわけですが…。今年は、わたしなりに過ごせたらいいな、なんて思っています。苦手なものに正直になりたい。いや、苦手なものはすでに避けてるんだけど、苦手だけどためになりそうなものに対して。ためになるってなんだろう?って考えながら。
このあいだ祖母に会ったんだけど、自分の価値観をしっかり持っている姿が素敵だった。楽しいことばかりではない人生だったんだろうけど、祖母は祖母なりの人生をおくっていた。さいきんは祖母の話を聞くだけで泣いてしまう。
さいごに、具体的な抱負もすこし。近々このブログをリニューアルしようと思っています。ブログ名とURLも変える予定。リニューアル後も、どうぞよろしくね。
わたしとピンクについて。
化粧品を買いました。PAUL & JOEのうるおう下地です。ほのかなピンクにつや消しのガラス。ぷっくりとしたかわいらしさ。化粧品ってかわいいものなんだな。デパートで売ってるコスメってふしぎな恍惚感がある。お化粧できる道具ではなくて、かわいいものにうっとりする瞬間を買っているのかな。それを使って自分まで小綺麗になれるのもいい。さいきんになって化粧品に対する向き合い方がわかってきた気がする。そこまで夢中になれない自分に負い目を感じたりしてたんだけど、まあいいかなって。ときめくものを買って、幸せになれるんだったらそれでいい。
今となっては考えられないけど、十八歳くらいの頃はこういうかわいらしいものが大好きでよく身に着けていた。ピンクのケータイとか、白くてもこもこした上着とか。ひらひらしたワンピースが好きだった(笑)けどいつからか、恥ずかしく感じるようになりました。なんでだろうな。身につけるのに躊躇するというか。かわいらしいのが逆に野暮ったく感じるというか。年をとると身につけられなくなる色。ピンクってかわいそう。けど、こういうものが好きな気持ちはずーっとあって、いまこうして化粧品として所持できるのが嬉しい。
語りたくなる色っていうが存在するのはふしぎだよね。「わたしと青について。」なんて、書ける気がしないもん。たくさんある色のなかのひとつではなくて、独特の意味合いを持っているというか。というのを、こないだインターネットで読んで思ったんだった。
フィルムカメラの思い出
こないだの五日間の旅で、夫がカメラを忘れたのに気がついたのは電車に乗ってからだった。内心残念に思うわたし。旅先で写真を撮ってもらうのが好きだったから。そこで夫は〈写ルンです〉を思いついた。高校の卒業式なんかに使っていた、あいつである。尾道のコンビニで売られているのを見つけて嬉しそうだった。「チャンスはピンチ!」なんて言ってのが可笑しかった。
しばらくして、現像が出来上がったものを見せてもらった。驚いた、これがめちゃくちゃいい。淡い色合いにざらざらとした質感。すこし大げさにも見える陰影が、目で見たものそのままな感じがして…。実際の思い出よりも「思い出っぽい」。なんなんだ、フィルム。こんなに味わい深いものだったなんて。
そして、最近ではデータまでもらえるそうで。こちらもすかさずGoogleフォトの共有アルバムに追加してくれた。なんだかあれだな。レコードみたい。モノとして持てる満足感とデータとして残せる安心感。すごいな、写ルンです。いいとこ取りだ。
タマゴとチーズのホットサンド
ほとんど乗り物には酔わないのだけれど、今朝のバスときたら…。三列になっていて、のびのびとはしているんだけれど、小刻みな揺れに気分が悪くなる。朝早くに京都について、すぐに布団に潜り込んだ。次に目が覚めるとお昼時で、わたしたちは下鴨神社に出かけた。昨日、神田明神の目の前まではたどり着いたのだけれど、混んでいて入れなかったからね。今年始めての雪と糺ノ森。甘酒は生姜が効いていておいしかった。
それから店舗には一度も行ったことのなかった下鴨ヴェルディへ。ここの珈琲めちゃめちゃおいしいんだよ。今日は〈タマゴとハム&チーズ〉のホットサンドを注文した。これがまた、とてつもなくおいしかった。200gほど珈琲豆を買って家に帰る。そのあとはずっと千里ニュータウンについて思いを張り巡らせて餅なんか焼いていた。だんだんと日常になっている。夫は明日から仕事だけど、わたしはまだまだおやすみ。