「彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone?」を読んだ
日本語のタイトルをどこかでチラッと見かけて、なんだか惹かれるものがあったので読んでみました。なんだか気になっちゃうことばの組み合わせです。読んだ後に英語のほうの意味もわかりました。なんてせくしーなタイトルなんでしょう。
いまよりかなり未来の話。SF小説です。人間を人間たらしめるのは何か? という話題について、主人公のハギリ先生に訪れるアレコレを通じてずーっと想像していました。シュチュエーションの面白さというよりかは、言葉選びや、登場人物の言動の推理を楽む感じ。
さいきんは実用書みたいなものばかり読んでたので、ひさしぶりの小説でした。実用書は、筆者の言葉をフンフンと全て聞き入れるのに対し、小説は、情景を思い浮かべながら「さっきの行動の意味は…」「もしかして最初に出てきたあれは…」などと考えて大忙しです。なれない運動をしたら、ふだんつかわない部分が筋肉痛!みたいなね。シリーズ二作目の「魔法の色を知っているか? What Color is the Magic?」を楽しみにしつつも、小説は一旦休憩…。
彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)
- 作者: 森博嗣,引地渉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/10/20
- メディア: 文庫
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ベッドタウンで育ったからこそ、商店街のコミュニケーションが新しい
大学入学当初からずーっと気になっていた出町桝形商店街。
「食べ歩きミニツアー」というイベントを見つけたので、ふわふわと行ってみました。
「嫌われる勇気」を読んだ
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/16
- メディア: Kindle版
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アドラー心理学の本です。ベストセラーになっていたので読んでみました。自己啓発本って、なんとなくスピリチュアルで敬遠していました。ですが、この本は読んで良かった。
冒頭から、人は原因論ではなく、目的論に基づいて行動する、という話から始まります。「トラウマが原因で何かが出来なくなる」なんてのは嘘、という話。これがけっこう身につまされた。自分の嫌な部分を、生まれた境遇のせいにしていたところがあったから。どうやらわたしは、逃げる言い訳を探していたようです。
それから、自由に生きること、という漠然としたテーマについても語られます。この本で言う自由とは、表題にも出ている「嫌われること」である。この一節には思わずハッとしました。わたしは、自分のことや考えていることを話すのが苦手だとか、ダメな人間だと思われたらどうしよう…って考えることが多かった。それで、ああ、これって嫌われるのを恐れていたんだなーって思った。そして、嫌われてもいいのか!と、当たり前のことに気がついた。わたしはこの本によると、自由に生きていないらしい。自由に生きていないと、他人の目をずっと気にしながら生きることになる。
わたしのまわりにいる魅力的でおもしろい人たちは、素直で、自信をもっている。自分の考えとか、夢までも楽しそうに話す。これが、自由に生きるということなのかも。彼らはけっこうクセが強くて万人受けしないかもしれない。けど、わたしは、彼らのこと大好きで、もっと話していたいって思う。わたしも、そういうふうになりたい。
最後は「他者に貢献しよう」という話。これは正直よくわからなくて、本の中でも「理解するのが難しい概念」というふうに語られていた。けど、わたしは、ほとんど人に尽くしたことがないから、ちょっとはやってみてもいいのかもな、と思った。なんだかよくわからないんだけどね。
普段なんとなく生きづらいなーって思ってたけど、自分でも認識してなかったポイントに気がつけて良かった。たぶん、本の半分も理解できていないと思うけど。何年かあとに読み返してみたい。
- 過去を言い訳にしないこと
- 人からどう思われるかばかり気にしないこと
- 他人に尽くしてみること
この3つを、とりあえずはやってみようと思います。
ちなみにこの本はオーディオブックで読みました。
嫌われる勇気―――自己啓発の源..
- 岸見一郎、古賀史健
- 定価:1620円
雪が降ったから、銀閣寺に
朝目が覚めて、眠たいなあ…なんて、布団に潜っていると、
外を見るように言われる。
白いものが映る。それも、分厚く重なっている。
「持たない幸福論」を読んだ
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎単行本)
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/05/26
- メディア: Kindle版
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phaさんの本。前から読んでみたくて、kindleのほうがセールで安くなってたので買った。とってもおもしろくてスラスラと読めた。軽い書き口で頭をウンウン唸らせなくても良いから、ちょっとしたスキマ時間にも読める。
無意識のうちに「大人は平日の週5日朝から晩まで働くもの」という思い込みがあったけど、それ以外の暮らし方があることに気がつく一冊。社会で「普通」とされてるレールから外れて生きるのはもの凄いバイタリティがある人しかできないと思っていたけれど、だんだん特別なことでもなくなってきた。
わたしはこれまで、大学の授業にちゃんと出るのが苦手だったり毎日8時間を週5で働くのがちょっと大変だなーって思ってて、これは自分の飽きやすい性格がダメだと思っていた。けどそういうのが苦手な人が世の中にいてもいいよね、っていうのを読んでて感じられたのが良かった。
妄想だけど、働くのは週4とかで1日全く別の分野の仕事とか自由研究(新しい技術を試してみるとか)みたいな暮らし方がいつかできるといいなあ!って思った。
大学休学時代、週3のバイトでwebデザインをやって、ほかの日はフリーランスでアプリのデザインをやるって感じだったんだけど、刺激が多くて心地良かったんだよね。
それから、本には全編を通して「繋がり」を大切にしたほうがいい、っていうのが書いてある。わたしは人付き合いに苦手意識を感じているのでもうちょっと気を付けていきたいなあ、って思った。
「この1冊ですべてわかる ブランディングの基本」を読んだ
- 作者: 安原智樹
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2014/10/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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会社の先輩が勧めていたので読んでみた。教科書的な内容なのでそこそこ時間がかかった。ブランディングはデザインやアートディレクションと直結しているような気がするのだけれど、なんとなく触れたことのない分野だった。何から始めていいいか全くわからなかったので網羅的に書いてあってよかった。専門用語の横文字がたくさん出てきて頭がパンクしそうになった。しっかり理解はできていないかも。「ブランディングがなぜ必要か」みたいな議論だけではなくて、具体的な例をいくつか出しながらアプローチの仕方みたいなのが説明されていたのがわかりやすかった。
ペルソナとかストーリーを作ってやるといいですよ、って書いてあった。大学でやったHCDのアプローチや、UX KYOTO等でやったワークショップと似た部分があって、そこはとっつきやすい。まずは自分のポートフォリオサイトとかで小さく試してみようかな、と思う。(今作っていないので)バイブル的な本なので、ざっと目は通しつつ手元に置いといて、わからなくなったときに該当箇所をちょくちょく読む、というのでもいいかもしれない。
元日に父親と走ったときのこと
「今度帰ってくるとき、いっしょに走りに行こう。」
そう言われたのは、2015年の秋に帰省したときだった。物心ついた頃から、父親は週末になるたびに走りに行っていた。もう当たり前すぎて何も思わなかったのだけれど、ほとんど欠かさずに毎週続けるくらいには好きなのだろう。それで、ついこないだフルマラソンを完走したわたしを誘った、というわけだ。
2016年の元旦に帰省し、約束通り走りに出かける。楽なペースでゆっくりと走る。空き地だったところに建て売りの一軒家が同じ顔して並んでいたり、木が生い茂っていたところに老人ホームとそれに準ずる病院が並んでいる。わたしが知らない間に、景色は均質化されていくようだった。しばらく何も話さず、坦々と進んだ。ふと父親が道端にある家の犬を見て「こいつはいつも小屋の上に乗っている」という話をした。それから、「この橋の下には毎日ホラ貝を吹くおじさんいて、最近ちょっとうまくなってきた」なんて話もした。わたしは「父は、こんなふうに世界と繋がっていたのだなあ」と思った。今の今まで父親が走っているときのことなんて考えたこともなかった。家で「走りに出かける父親」と「走りから帰ってきた父親」を眺めていただけだから。
わたしの記憶の中の父親は、とにかく口うるさかった。小さい頃から、社会人になって家を出るまでずっと。何かをすれば「やり方が良くない」だとか、何か話せば「話し方が悪いから伝わらない」だとか。何をするにも叱られて、小さく傷つくうちに、距離を取っていた。できるだけ話さないようにしていた。だから、走りに出るってなったときも、すこし緊張していた。だけど、いざ走りながらそんなことを話していると全然そんなことはなかった。言い方は変かもしれないけれど、「親と子」じゃなくて、「対等な大人同士」として会話ができるようになったのかもしれない。
実家の近くを離れて、ずんずんと進んで行く。ずいぶんと遠くまで来たなあと思ったところで「この公園、覚えている?」なんて聞かれた。初めて通ると思っていた道は、どうやらそうではないようだった。気がつくと、わたしが幼い頃に住んでいた町に来ていた。盆踊りをしたという公園も、お宮参りをした神社も、4歳まで住んでいたアパートも、ちっとも覚えてはいないけれどね。
「この田んぼで、凧揚げをしたことは覚えてる?
お前が手を話すから、飛んで行ってしまった。」
そう言った父の目には、紐を持つ手を放してしまった小さな子どもの影が映っていたのかしら。
その小さかった子どもが、20年後に同じ趣味を持って、同じ場所を訪れることになるって、想像できただろうか。
そんなことを考えながら、だだっぴろい田んぼの真ん中の、父の背中を追う。
元日とは思えないようなやわらかい日差しに、時間が少しだけゆっくりと流れたような気がした。
20年前の冬の日もきっと、こんな感じで過ぎていったんだろう。