元日に父親と走ったときのこと

「今度帰ってくるとき、いっしょに走りに行こう。」

そう言われたのは、2015年の秋に帰省したときだった。物心ついた頃から、父親は週末になるたびに走りに行っていた。もう当たり前すぎて何も思わなかったのだけれど、ほとんど欠かさずに毎週続けるくらいには好きなのだろう。それで、ついこないだフルマラソンを完走したわたしを誘った、というわけだ。


2016年の元旦に帰省し、約束通り走りに出かける。楽なペースでゆっくりと走る。空き地だったところに建て売りの一軒家が同じ顔して並んでいたり、木が生い茂っていたところに老人ホームとそれに準ずる病院が並んでいる。わたしが知らない間に、景色は均質化されていくようだった。しばらく何も話さず、坦々と進んだ。ふと父親が道端にある家の犬を見て「こいつはいつも小屋の上に乗っている」という話をした。それから、「この橋の下には毎日ホラ貝を吹くおじさんいて、最近ちょっとうまくなってきた」なんて話もした。わたしは「父は、こんなふうに世界と繋がっていたのだなあ」と思った。今の今まで父親が走っているときのことなんて考えたこともなかった。家で「走りに出かける父親」と「走りから帰ってきた父親」を眺めていただけだから。


わたしの記憶の中の父親は、とにかく口うるさかった。小さい頃から、社会人になって家を出るまでずっと。何かをすれば「やり方が良くない」だとか、何か話せば「話し方が悪いから伝わらない」だとか。何をするにも叱られて、小さく傷つくうちに、距離を取っていた。できるだけ話さないようにしていた。だから、走りに出るってなったときも、すこし緊張していた。だけど、いざ走りながらそんなことを話していると全然そんなことはなかった。言い方は変かもしれないけれど、「親と子」じゃなくて、「対等な大人同士」として会話ができるようになったのかもしれない。


実家の近くを離れて、ずんずんと進んで行く。ずいぶんと遠くまで来たなあと思ったところで「この公園、覚えている?」なんて聞かれた。初めて通ると思っていた道は、どうやらそうではないようだった。気がつくと、わたしが幼い頃に住んでいた町に来ていた。盆踊りをしたという公園も、お宮参りをした神社も、4歳まで住んでいたアパートも、ちっとも覚えてはいないけれどね。



「この田んぼで、凧揚げをしたことは覚えてる?
お前が手を話すから、飛んで行ってしまった。」



そう言った父の目には、紐を持つ手を放してしまった小さな子どもの影が映っていたのかしら。
その小さかった子どもが、20年後に同じ趣味を持って、同じ場所を訪れることになるって、想像できただろうか。


そんなことを考えながら、だだっぴろい田んぼの真ん中の、父の背中を追う。
元日とは思えないようなやわらかい日差しに、時間が少しだけゆっくりと流れたような気がした。
20年前の冬の日もきっと、こんな感じで過ぎていったんだろう。