料理動画で毎日がちょっと楽しくなった

我が家の二〇一八年の最初のブームはお料理のようです。と言ってもここ数日の話なんだけど…。会社から帰ってきて、わたしが何か作る間に夫も何か作る。するとあら不思議、自分が作ったのとは別のもう一品ができているんです。当たり前のこと言ってるみたいだけど、ちょっと違うんだな。たとえば二人で手分けしてこの二品を作ります!とかだったら、片方は切る係、もう片方は炒める係になる。そうすると二品分の段取りについて気を使わないといけない。それから、どちらか一人が指示を出す形になって、もう一人はお手伝いになってしまう。効率的でいいのだけれど、どうしても相手のことが気になってしまうし、達成感が得られにくい。

それが、一人一品だと、一つのことに気にかけている間にもう一品が出来上がってる。これ、なんだか魔法みたいじゃないですか? (気にかけることに力を使いすぎ、ってのもある)そんな感じで、わたしがオムレツを作っている間に夫はお味噌汁を作ってくれている。おかずが二つあると見た目にも嬉しいね。一日の終わりのささやかな楽しみ。


料理をするようになったきっかけはいくつかあるんだけど…。その一つに、料理動画アプリというものがある。〈クラシル〉というのを使っているんだけど、これがかなり良い。料理というと、味を舌で覚える職人技か、はたまた1gの誤差も許さない理科の実験か。なんだか失敗してはいけないような気難しいものと思っていたけれど、動画を見てると、このくらいふんわりした気持ちでもできるんだ、と思えてくる。あまり料理に慣れていない夫が「これなら作れそう!」と言って何かやり始めたりする。レシピのクオリティが安定していて失敗しないところ、レシピの数が多すぎないところ、なんか難しそうな具材を使っていないところ、ボウルに【★】を加えます、なんて書いてないところ、料理の行程を俯瞰しやすいところ、などなど、良いなあと思うところがたくさんある。それをぜんぶまとめて、わたしたちの日常に楽しい時間が増えた、というのが、なんというかとにかく素敵だな、って、同じサービス開発者としては思うわけです。

わたしはわたしなりの人生をおくるんだ


アラジンのトースターで焼くおもち。表面がぱりぱりでおいしい。この正月は、こどものころ母親が焼いてくれたのを思い出してた。そして、十二月から始まったわたしの冬休みは今日で終わりのようです。十七連休、長いようで短かったな。明日から仕事が始まるわけですが…。今年は、わたしなりに過ごせたらいいな、なんて思っています。苦手なものに正直になりたい。いや、苦手なものはすでに避けてるんだけど、苦手だけどためになりそうなものに対して。ためになるってなんだろう?って考えながら。

このあいだ祖母に会ったんだけど、自分の価値観をしっかり持っている姿が素敵だった。楽しいことばかりではない人生だったんだろうけど、祖母は祖母なりの人生をおくっていた。さいきんは祖母の話を聞くだけで泣いてしまう。


さいごに、具体的な抱負もすこし。近々このブログをリニューアルしようと思っています。ブログ名とURLも変える予定。リニューアル後も、どうぞよろしくね。

わたしとピンクについて。

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化粧品を買いました。PAUL & JOEのうるおう下地です。ほのかなピンクにつや消しのガラス。ぷっくりとしたかわいらしさ。化粧品ってかわいいものなんだな。デパートで売ってるコスメってふしぎな恍惚感がある。お化粧できる道具ではなくて、かわいいものにうっとりする瞬間を買っているのかな。それを使って自分まで小綺麗になれるのもいい。さいきんになって化粧品に対する向き合い方がわかってきた気がする。そこまで夢中になれない自分に負い目を感じたりしてたんだけど、まあいいかなって。ときめくものを買って、幸せになれるんだったらそれでいい。

今となっては考えられないけど、十八歳くらいの頃はこういうかわいらしいものが大好きでよく身に着けていた。ピンクのケータイとか、白くてもこもこした上着とか。ひらひらしたワンピースが好きだった(笑)けどいつからか、恥ずかしく感じるようになりました。なんでだろうな。身につけるのに躊躇するというか。かわいらしいのが逆に野暮ったく感じるというか。年をとると身につけられなくなる色。ピンクってかわいそう。けど、こういうものが好きな気持ちはずーっとあって、いまこうして化粧品として所持できるのが嬉しい。


語りたくなる色っていうが存在するのはふしぎだよね。「わたしと青について。」なんて、書ける気がしないもん。たくさんある色のなかのひとつではなくて、独特の意味合いを持っているというか。というのを、こないだインターネットで読んで思ったんだった。

scarletandjune.com

フィルムカメラの思い出

こないだの五日間の旅で、夫がカメラを忘れたのに気がついたのは電車に乗ってからだった。内心残念に思うわたし。旅先で写真を撮ってもらうのが好きだったから。そこで夫は〈写ルンです〉を思いついた。高校の卒業式なんかに使っていた、あいつである。尾道のコンビニで売られているのを見つけて嬉しそうだった。「チャンスはピンチ!」なんて言ってのが可笑しかった。

しばらくして、現像が出来上がったものを見せてもらった。驚いた、これがめちゃくちゃいい。淡い色合いにざらざらとした質感。すこし大げさにも見える陰影が、目で見たものそのままな感じがして…。実際の思い出よりも「思い出っぽい」。なんなんだ、フィルム。こんなに味わい深いものだったなんて。

そして、最近ではデータまでもらえるそうで。こちらもすかさずGoogleフォトの共有アルバムに追加してくれた。なんだかあれだな。レコードみたい。モノとして持てる満足感とデータとして残せる安心感。すごいな、写ルンです。いいとこ取りだ。


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早朝に尾道から出発して、まだ暗い

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阿蘇スカイラインは、夢みたいな風景だった

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この尾根沿いを、走ってきたらしい

タマゴとチーズのホットサンド

ほとんど乗り物には酔わないのだけれど、今朝のバスときたら…。三列になっていて、のびのびとはしているんだけれど、小刻みな揺れに気分が悪くなる。朝早くに京都について、すぐに布団に潜り込んだ。次に目が覚めるとお昼時で、わたしたちは下鴨神社に出かけた。昨日、神田明神の目の前まではたどり着いたのだけれど、混んでいて入れなかったからね。今年始めての雪と糺ノ森。甘酒は生姜が効いていておいしかった。

それから店舗には一度も行ったことのなかった下鴨ヴェルディへ。ここの珈琲めちゃめちゃおいしいんだよ。今日は〈タマゴとハム&チーズ〉のホットサンドを注文した。これがまた、とてつもなくおいしかった。200gほど珈琲豆を買って家に帰る。そのあとはずっと千里ニュータウンについて思いを張り巡らせて餅なんか焼いていた。だんだんと日常になっている。夫は明日から仕事だけど、わたしはまだまだおやすみ。

客寄せパンダ

新宿にある夫の実家で目覚める。人のおうちってなんだかいいな。いつもと違うおふとんの肌触り。毛布がふわふわで、いい香りがして、いつまでも眠っていたくなる。窓からは富士山が見えるけど、もうすぐマンションがたっちゃうらしい。都会の景色はどんどん変わっていっちゃうんだな。それにしても、まさかじぶんが東京に帰省することになるなんてな。

それから上野動物園へ。上野駅はあたりが一面パンダ、パンダ、パンダ。客寄せパンダって、まさにこのことなんだな。それから、赤ちゃんパンダの<シャンシャン>には選ばれしものしか会えないらしい。けど、お父さんにはお目にかかれました。パンダって不思議だな。ごろんとしながらごはんを食べたり、こだわりが強かったり。野生っぽくないんだもの。野生じゃないけど。

夫が同窓会に行ってしまったので、喫茶室ルノワールでこの日記を書いています。夜行バスで京都に帰るよ。

富士の元日

朝の新幹線に乗って東京に向かう。ふだん出張で使うのはスーツのおじさんばかりなのに、子供の声ががやがやとしている。富士が見えると、みんなして写真を撮り始める。わたしも同じように撮る。二〇一八年年、元旦の富士。おめでたいね。おめでとうございます。

結婚したものですから、正月は夫の実家のある東京で過ごすことになるらしい。三十人くらい、親戚で集まるところにわたしも加わった。お正月にちょっとこぎれいなレストランに行くと、家族でたくさん集まっていることがあるでしょう。まさにあの感じなのです。親戚家族と話すの、なんだか新鮮だな。子どもたちとトランプで遊んだ。そうか、わたしはあの子たちの叔母なんだな。

きょうは、そうだね。りんごとテールスープがおいしかった。

2017年の映画と本

映画

愛のむきだし

愛のむきだし

4時間あったとは思えない爽快感。しびれる、という表現がとても良く似合う。叫んでる満島ひかりさん、男!死ね!って言って殴る満島ひかりさん、セーラー服で踊る満島ひかりさん、どれも最高。ゆらゆら帝国の「美しい」のイントロがまたかっこいいんだよな。


パッチギ!

パッチギ!

1968年の京都が舞台。ザ・フォーク・クルセダーズの音楽が全編に渡って流れる。映画「この世界の片隅に」を見たあとだったので「悲しくてやりきれない」が身に染みた。今はないけど高校時代(2007年くらい)にはあったピンク映画館が写っていて懐かしかった。京大西部講堂での学生運動のシーンがあったりして、近所に住んでるじーちゃんはこの時代の京都に生きていたんだな、て思うと感慨深かった。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

愛おしい一冊。マイノリティの対義語はマジョリティではなくて、「自分がマジョリティであることを意識したことのない人」なんだな。2017年はこの本に出会えてよかった。


たとえる技術

たとえる技術

大好き!せきしろさん。文章ってやっぱりおもしろいものだよな。日常にある何でもないことの捉え方が変わってくる。kindleで読んだけど、良すぎて紙も買いました。


ナンセンス・カタログ (ちくま文庫)

ナンセンス・カタログ (ちくま文庫)

これもまた日常のあらゆるものに対する捉え方が変わってきてすてきだ。身近なものを観察したくなる。


弟の夫(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

弟の夫(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

これだけ漫画です。知らないことを知るに対話するしかないんだな、とあらためて思った。愛おしいので紙で買って置いておきたいな。

海と山を渡って。

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自転車と青春18きっぷを持って、電車に乗った。尾道からスタートして、道後、別府、阿蘇へと渡った。お湯をたくさん浴びた。なんだか日常に疲れているような気がしていたけど、そんなことはどうでもよくなった。尾道から島が幾重にも重なって見えるのと、伯方島の海の色と、八幡浜の緑色のクレヨンで描いたような山と、阿蘇スカイラインの夢みたいな風景。すてきだった。あれはいいね。海と山の町。

クリスマスに出発したのに、京都に帰ってくるとあたり一面が年の瀬の様子。道行く人々がキラキラと「良いお年を!」なんて叫んでる。四条河原町で自転車を組み立てていると大学の友人にたまたま会って、家を買った!と報告されたのも可笑しかった。家につくと、すっごく散らかっていて気持ちが沈んでいることに気がついた。そうか、わたしは家の整っていなさに落ち込んでいたんだな。今日は一日部屋の片付けをした。

ところで、「良いお年を」ってどういう意味なんでしょう。今年の残りの時間をすてきに過ごしてね、ってことなのか。それとも来年一年すてきになりますように、ということなのか。よくわかっていないけど、なんだか祈りのことばのようで好きなんだな。

贈り物にシュトーレンを。


普段どおり仕事から家に帰ってくると、玄関には袋が掛かっていた。名刺と手紙が添えられていた。その前日に仕事で会った人からだった。中身はシュトーレン。その日は十一月の末で、すこし早いクリスマスプレゼントだな、と思った。袋がかかっているのも靴下っぽいでしょ。
それから毎日うすーく切って食べていた。無意識にやっていたことだけど、どうやらシュトーレンとはそういうものらしい。クリスマスまでのアドベントなんだって。すこしスライスしてはクリスマスに思いを馳せる。素敵だよね。てっきりお菓子をもらったものだと思っていたけど、クリスマスを楽しみに思う時間をプレゼントしてくれた、ということでしょう。ああ素敵だ。もし来年のクリスマスの前に何かプレゼントすることがあれば、シュトーレンにしよう。粋な大人の贈り物。