はずれの数字

炭酸が飲みたくなって自販機でジュースを買う。商品を取り出すと、ピピピピピという音がする。スロットがついてて、当たりだったらもう一本貰える自販機ってあるでしょ。どうやらそれだった。

四桁の数字が光る。「111…」まで出ている。最後の一桁、1が出るかどうか。期待せず眺める。

「1112」

あっ、はずれだ。けど、その四桁の数字を見て、少しだけニヤリとした。その数字は、わたしにとっては特別なのである。なぜなら、わたしの誕生日は11月12日だからだ。はずれたけど、1111が出た時よりも、ニヤニヤとしていたと思う。

なんでもない瞬間に名前をつける

スケロク君という人がいる。なぜスケロク君と言うのかは知らない。かれが「ゆりりーさん(私)におすすめの本があるので今度あげます」というので、楽しみに待っていた。自由律俳句の詩集だった。

それは、「カキフライが無いなら来なかった」という本である。おもしろくてすぐに読んでしまった。俳句と言うと、四季の情景とか温度とか感覚を思い浮かばせるようなことばを使って、みずみずしく詠うものを思い浮かべるが、これは普段の何気ない瞬間を切り取ったもの。

読んでいて一番驚いたのは、こんなになんでもない瞬間に名前をつけてもいいんだ……! ということである。よくよく考えると(?)そりゃそうなんだけども……。何かを作ろうとすると、なんだか耳障りの良さそうな「正義」を作らないといけないって思っちゃうじゃない。あ、そうでもないか……。

それで、そうかと思えば「桜」や「入道雲」や「毛玉」といった単語がふと出てきたりする。「灯油のメロディ」というフレーズだけで、冬の澄んだ空気や、彩度が低めの情景が頭に思い浮かぶ。この本には、現代の都市の四季が詰まっているようだった。

読んでいてなんだか詩を作りたくなってきた。とりあえず一昨日の雨の日の夜中に布団の中で思った「『バケツをひっくり返したような雨だね』と言う相手がいない」というのをあいふぉんにメモした。この本を読んでから、近所にある古い商店の看板のフォントが丸文字だったとか、地下鉄から地上に上がるときの階段に入りこむ光が眩しすぎるとか、かなりどうでもいいことが気になるようになった。こんな瞬間を言葉にしていいなんて知らなかった。


なぜこの本をおすすめされたのかはわからない。Amazonでさえ、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とか「あなたのお買い物傾向から」だとか、おすすめする理由を教えてくれる。けど、なぜ勧めたのかを聞くのは野暮なので聞かない。

箱と花

祖父の箱に花を入れるとき、その強さに驚いた。

生花を扱うときはいつだって、繊細なものとして扱っていた。壊れてしまわないように。散ってしまわないように。ていねいに、ていねいに。

だから、わたしは花の生命力のことを知らなかった。握ってみてはじめて、そのみずみずしさに気がつく。

なんだかちぐはぐだな、なんて思いながら、箱を花でいっぱいにした。

映画『ノーマ、世界を変える料理』を見た

www.noma-movie.com

京都シネマで上映してたものを見に行った。今の自分にとっては凄く元気の出る映画だった。「良い作家はたくさんの語彙やそれを使うための言葉を知りつくしているのと同じように、良い料理人は食材を知りつくしている」みたいなフレーズにグッときた。内容自体はドキュメンタリーだけど、登場する料理や、皿につく水滴、ソースを垂らしたときの広がり方など、細部が美しい。食材を探すために北欧の森の中を歩くところも良かった。

他には「その土地の旬の食材を食べていれば今がどういう季節なのかがわかる」というのが素敵だなあと思った。食材はスーパーなどで一年中手に入るが、そうではなくて近くで取れた旬のものを食べるのがいちばんおいしい。一年に一度の旬を精一杯楽しむのはすごく豊かだな…と思った。できるだけ、京都産の食材を買いたくなった。日曜日はできるだけ大原に行くようにしよう。

一流の人がなぜ一流かというと、知識への追求が留まらないからだろう。これは料理だけではなくてデザインにも言えるし、あらゆることにあてはまる。日常はぼーっとしてるとなんとなく流れていくが、瞬間瞬間で適切な問いが立てられるようにしたい。物事を消費することを目的にするのではなくて、素直な感性でその過程を楽しめるようになりたいな。世の中はわからないことだらけだが自分で確かめるしかない。歩いていく道がでこぼこ道なら、自分で足場を整えて進むしか無い。

その行為に「嬉しさ」はあるか

わたしは、小さい頃から一度たりとも部屋を綺麗に保てたことがない。根っからのクズか、それとも片付ける能力がないのかはわからないが、とにかく整理整頓が苦手だ。

それで、週末ちょっと花を買ってみて、花は綺麗なのに部屋が汚いと元も子もないな、と思って部屋をすこし片付けた。と言っても出してたものを適当に箱に入れただけだけど。そして今日、片付けたことすら忘れて帰ってくると、家が、すごくすっきりしている…!ということに感動した。部屋が片付いているって、こんなに嬉しいことなのか…! 25年生きていて初めての発見である。

わたしにとっての「整理整頓」というのはとにかく嫌なもので、特にメリットもないものだった。何をどうしたらいいかわからないし、こんなに嫌な感じがするのになぜみんな普通にできるのか不思議だった。親に怒られるからやるか、友人を呼ぶときにダメな人間だと思われたくないからやるかのどちらかである。やってもマイナスがゼロになるくらいの立ち位置。それがなんと今日、「すっきりしているとめちゃくちゃ嬉しいぞ!」ということに気がついたのだ。(大袈裟)

考えてみると、「嫌いだしメリットのないこと」ってなかなかできない。今までのわたしにとっての整理整頓は「嫌いだしメリットのないこと」だった。世間的に後ろめたいからやっていたが、そりゃあできないよなあと。けど、今日「整っていることは嬉しいこと」っていうのに気がついて、ちょっとはできるかも、って気分になってきた。
めんどくさいことを嬉しさに昇華できたら、普段の生活がもうちょっと楽しくなりそうだ。「嬉しさドリブン」みたいな考え方、あまりしたことはなかったけど、なかなかおもしろいかもしれない。

バランスを崩している

2週間ほど、落ち込みが続いている……。
何かひとつがうまくいかなくなると、とたんに全てのバランスが崩れてしまうような、そんな感じ。
忙しくしない、新しいことを始めない、失敗するかもしれないことは避ける、完璧を目指さない、みたいなのを地道にやってたらもとにもどるかな。とにかく失敗したくないし怒られたくない、のである。困ったことは困った!って言うことからはじめてみようかな……。

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そういえば、D-BROSのフラワーベースを買ったのでお花を。
部屋の一部が綺麗だと純粋にうれしい。
平日はあわただしくて買って帰るの難しいけど、休日はゆっくり買いにいく時間を持てるようにしたいな。

フーフのロール

「夫が居間で客人の相手をしている横で、妻は台所で料理の準備や後片付けをする」

昔ながらの夫婦感というと、こんな感じだろうか。「男女平等」という教育をされて育ったわたしは、この価値観がよくわからなかった。不公平感というよりかは、「女の人はなぜ黙って尽くすことができるのだろう? 」という疑問があった。どうして、楽しそうなことをしている横で黙々と作業がこなせるのだろうか。こどものわたしは、大人になって結婚すれば、自然と割り切ることができるようになるのかと思っていた。


先日とても素敵な夫婦を見た。その夫婦は、田舎に住む昔ながらの夫婦である。奥さんは、旦那さんが客とお酒を飲んでいる横で楽しそうに料理をしている。そこに「仕方ないからやっている」ような印象はない。よく見ると、旦那さんはつねに奥さんのことを気遣っている様子である。今何をやっているかは把握しているし、時おり話しかけたり、ビールを差し入れたりしている。準備ができると、奥さんは席に混じって楽しそうに話をするし、チャーミングに冗談を言ったりする。

もしかすると、夫婦というのはロールなのかもしれないな、と思った。ロールと言うと難しいけど、例えば仕事のチームなんてのはディレクターとプレイヤーがいたりする。ディレクターは手を動かさないが、プレイヤーより立場が上かというと、必ずしもそうではない。ディレクターというのはロールである。(まあ、現実的には立場が上の人がディレクターを務めることのが多いのだろうけど、概念的にはそうである必要はない、というのを言いたい)

夫婦は、同じ目的を持ったチーム。仕事での関係がそうであるのと同じように、チームは信頼関係があって初めて成り立つ。お互いがお互いのことを尊敬する必要がある。わたしが、この夫婦を素敵だなと思ったのは、その信頼関係が感じられたからだろうか。尊重し合える仲は美しいよ。


あ、もちろん、この男女のロールの分け方だけが不変の真実であると言いたいわけではない。現代に生きているのだから、ロールのあり方は三者三様でいい。二人ともがプレーヤーであってもいいし、日によって交代してもいい。大切なのはチームとして前向きかどうかである。ただ、相手を尊重する気持ちがないのにロールだけが形式ばっているのは、しんどいことかもしれない。

いちばんいい時間

それなりに楽しいものとか、インスタントにきれいなものとか、あとは大人数で体験したもの、体験できるものなんてのは、SNSにあげちゃう。いい思い出だなあ、って。SNSに楽しかった!って言ってできるコミュニケーションだってある。そうやって、じわりじわりと距離を近づけるのは楽しい。

けど、心から楽しかったこととか、感動した風景とか、ふたりだけしか知らないこととかは、誰にも教えてあげないよ。わたしだけの秘密、ってのが好きなのかも。わたしはたぶん、根がいじわるなんです。

みずみずしい言葉

ことばがいちばんみずみずしいのは、恐らくはその瞬間ではないか。
何を言っているの?って感じだけど、いまこうやって東京の地下鉄をウロウロしながらぽちぽちと文字を打っている間にも、情報量はどんどんと減っていって、それが惜しい。
そして、この世のみずみずしい気持ちを、できることならもっともっと覗きたい。

今日は、ちょっと準備してたものを発表する機会があって、同僚のソレにいたく打ちひしがれた。
ことばってこんなに美しくあるのか、という驚き。 かれの見る世界はこんなにも綺麗なのか。ことばのすみずみがうるおっている。

あぁ、わたしもこの次元にいきたいなぁ。ふとい芯のある人になりたい。

坂の風景

豊島が好きだ。中でも、唐櫃港から少し坂を登ったところにある、坂の風景がとくに大好きだ。
家浦港からこの坂に向かうと、急なカーブの入り口がどーんと飛び出して、左手には美しい棚田が、右手には豊島美術館が見える。
この坂を自転車で下るときの、海吸い込まれちゃうんじゃないか、っていう瞬間が好き。
気がつけば、何枚も何枚も、このアングルから撮っていた。
わたしは、豊島は三度目なんだけど、過去の写真を見ていると、同じアングルから撮っているものがいくつかあった。

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2013年3月(瀬戸内国際芸術祭)

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2011年3月

このころは、5年後に一人旅してるだなんて、思ってもみなかっただろうなあ。
性格や考え方は少しずつ変わっているけれど、好きな風景は変わらないみたいで嬉しかった。
飽きやすい性格だし、どんどん変わっていきたいとも思っているけど、変わらない部分もある。そういうところも大事にしていきたいな。