ブログを書くのは、自分のため。

なんとなく、人は何かしら表現したいんじゃないかな、って思っています。
絵を描いたり曲を作る、みたいなのはもちろん、instagramに写真をあげたりTwitterでつぶやくのも表現。カフェで他愛のないおしゃべりをするのも、居酒屋で将来のことについて語り合うのも表現。「わたしはここにいるぞ」って積極的に主張するわけじゃないけど、根本ではどこかそんなふうに思っている部分があって、それぞれにぴったりフィットする方法で表現している。
わたしの場合、その方法のひとつにブログがあります。
なぜブログなのかって言われると、素朴に「書くこと」自体が好きなのかも…。決して上手ではないですが、中学生のときに先生に文章をめちゃくちゃ褒めてもらった原体験があって、それをいまでも引きずっているんですね。お恥ずかしいことですが。


わたしは、口頭で表現するのがとっても苦手です。「楽しかった」とか「感動した」なんてのは心の中にプールさせられるんだけれど、その前後関係をうまく繋ぎ合わせられないというか…。聞かれたら答えられるけど、ひとつの文として編んでいくのが瞬時にはできない。(話すのがうまいひとは、どうやっているんでしょうね。話しながら、構成を考えているのかな。)
一方で文章を書くときは、プールされた言葉同士をじっくり考えながらすこしずつ紐付けすることができます。いろんな並べ方を考えて、いちばんしっくりくる順番に並び変えられたら、それが文章になっている。
文章を書いていると、自分で自分に驚くことがよくあります。「この時楽しいって感じたのは、こういう理由だったんだ!」って。文章にする作業をしていると、考えが抜けている部分が浮かび上がってくる。それを埋めるためにあれこれ考えていると、感じたその瞬間には気にも留めなかったことに気がつくようになる。それを繰り返していくと頭が整理されて、自分で自分の感情が理解できる。この瞬間が、最高に気持ちがいいんです。
書くこと自体は自分しか見れない日記帳でもできる。けど誰かに見られることを前提に書いていると、きちんと伝えるために整理作業をしっかりとやるようになります。それから、一度頭の整理ができていると、口頭で話すのがずいぶんと楽になります。書くことで考えが整理されているからでしょうね。


文章を書いた結果、反応が貰えるのはもちろん嬉しい。スターやいいねのために書いてるんじゃないけど、それらが「書くことが好き」という気持ちを継続させているのは間違いない。それから、自分が一方的に好きだと思っている人に読んでもらえると、ものすごく嬉しい。ヤッター!ってガッツポーズしちゃう。これはなかなか、ブログじゃないとできない体験かなあ。TwitterFacebookは「誰が言っているか」が重要だけど、ブログは「書いてある内容」が重要だから、ぜんぜん知らない人にも届きやすいんだと思います。


インターネットができる前は、書くことが得意でも表現する場所ってあまりなかったんじゃないかな。たくさん表現できるのは話すのが得意な人。けど、さいきんは話すのが苦手な人でも表現できる。「ブログを書くこと」について考えるとき、わたしはそんなことをよく考えます。わたしは良い時代に生まれたなあ。ほんとうにラッキーだ!
そして余談だけど、このブログをはじめた一記事目でも似たようなことを書いていました。
yulily100.hatenablog.jp
三年間で大学を卒業したり就職したり親元を離れたりと、様々なことがあった。(この頃は三年後に京都で働いているなんて思っていなかったし。)色んな人と出会って、色んな経験をして、価値観もかなり変わったんだけど、ブログを読む限り根本的なスタンスはあまり変わってなかった。文章も表現も構成もめちゃくちゃで読みづらいんだけど、考えていることは同じでなんだか愛おしかった。こんなふうに振り返られるのも、ブログのいいところだなって思います。三年前の自分が何を考えていたなんて、なかなか覚えていられないからね。



今週のお題「私がブログを書く理由」


よければこちらも。

yulily100.hatenablog.jp
社会人になってすぐに書いた記事。外的なメリットをメインに書きました。


blog.hatenablog.com
好きなブロガーであるphaさんも「自分のためにブログを書いている」と言ってて、なんだか嬉しかった。この記事は、その嬉しさをしっかり表現したくて書きました。