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親が天ぷらを揚げる音はもう聞けないのかもしれない

昼と夜の間くらいの時間に、おばあちゃんお父さんお母さんそれからちいちゃな子供2人の家族がおぼつかない足取りでバスに乗り込む。あっているはずなんだけど、という不安そうな空気感を横目にこういうのもお正月らしいな、なんて思う。バスが出発する。ここ数年、京都で年を越して、元日の夕方に帰省するのがいつものパターンになってきた。

元日の夜、寒気がすると思ったら発熱していた。次の日になっても気だるいのが続く。昼には帰るつもりだったのだけれど「もう一泊していったら?」の声に甘えて、パジャマのままゴロゴロとしていた。ちょっと楽になったかと思って起きていると、すぐにしんどくなってきてまた布団に入るのだった。

寝てるんだか起きてるんだかわからない正月。薄暗い部屋が日暮れとともにさらに暗くなってきた。あいふぉんを片手に、新年のご挨拶や豊富でいっぱいのインターネットを観覧していると、よく聞き慣れた音が聞こえてきた。


トントントントン
パチパチパチパチ
ザッザッザッザッ


一人暮らしの家では聞くことのない、誰かがご飯を作ってくれている音。音から察するに、今日の献立は天ぷらだろう。モソモソと起きてきて、大根おろしをお皿に盛る。母曰く、年に一度しか作らなくなったそうだ。


あー。もう、これは日常じゃないんだよなー。


エビを頬張りながらそんなことを思った。熱が出たからこうしてヌクヌクとしているけど、本当なら京阪電車に乗っているところだもんね。

布団の中で眺めていたSNS。年々、子どもの写真がたくさん出てくるように思うし、正月は旦那さんの実家に!なんてのも当たり前のように見るようになった。同じように、いつかわたしも実家で過ごすことが無くなるかもしれない。いつか、この音を聞かなくなる日がくるのかもしれない。

たとえる技術

たとえる技術

寝てるんだか起きてるんだかわからないときにこの本を読み終わった。日常にある何でもないことの捉え方が変わってくる。たとえば、何度となく聞いた、「親が料理をする音」に耳を傾けたくなる。風邪がほどよくなった一月三日、京阪電車に乗って今のわたしにとっての日常がある街に戻る。



2017年1月1日、鴨川デルタにて