昨日は中之島の中央公会堂大阪デザインフォーラム2013に行き、中村勇吾さんと柴田文江さんのお話をきいてきました。
こういうデザイン系の講演会って必ずといっていいほどデザイナーとクライアントの話になるし、デザイナーにとって、デザインのわからないクライアントに対してどういう意図があってそういうデザインなのかを説得する苦労は必要不可欠であると思う
そういった話題の中で中村勇吾さんはこんな旨のことをおっしゃっていた。
「デザインがめちゃめちゃできる人以外の人はデザインやめて会社員になるほうが社会はよくなる」
芸大などの講演でよく言うことだという。
私はデザインを学んでいる学生としてこの言葉を聞いて、いたく衝撃的だった
(デザイナーになりたくて芸大や美大に通うわけだし)
だがしかし、くだらないデザインを生み出すくらいならデザイナーになる夢を捨てたほうがいいといった、めちゃめちゃできる人からのシビアな意見ってだけではない
要するにデザインリテラシーが高い人(デザインがわかる人)が会社員として、クライアントとして働いたほうがめちゃめちゃできる人がめちゃめちゃいいものを作り出しやすくなり、社会的にはいいということである。
デザイナーのブログなどを読んでいると、
クライアント、それからディレクターやプロデューサーみたいな人がデザインのことをわかってくれなくて、「この部分ぱぱっと修正しといて」とか「文字大きくしといて」といったことを言われると書かれているものをよく見かける
デザイナーとしては文字の大きさや配置を始め、ちょっとした余白など細部に至るところまで微妙なバランスで成り立たせていてちょっとした修正は1からやり直しということを意味することはすぐに理解できるので「ぱぱっと」なんて到底無理だということがわかるが、デザインを知らない人にはそれがわからない
ましてや「なんとなく」で細かい指示をしたりする(そしてこの指示に従ってもあまりいいものはできない)
そもそもどういうコンセプトを持って取り組んで欲しいのかデザイナーに伝わり切れていないことも多いように思うし、クライアント自体本質的にやりたいことをわかっていなかったりする
もちろん「そうじゃなくて云々」ってアツく語れたり、クライアントがやりたいことの本質をひきだせるのならそれにこしたことはないし、それができてこそ優れたデザイナーだと思うけれど相手はお客さんであったり、上司であったりしてなかなか難しいように思う
そういった理由からデザインのわかる人が会社員になって、クライアントとして手先の器用なめちゃめちゃできる人に実際に手をうごかすところをまかせつつも、一緒にデザイン言語を話しながら一つの成果物を作り上げたほうがいいものができるのでは、というようにこの言葉を受け止めた
(世の中にはずばぬけてデザインできる人っていうのは間違いなくいて、そういう人をわかってあげられるのはデザインがある程度わかっていなければできない、っていうこと)
ただでも、デザインや作ることが一番得意で、会社員なんかしたくないって人が来るのが美大や芸大なのでデザインをやめて会社員をやるという選択肢はなかなか浮かんでこないのでは、と思う
芸大生としてもデザイナーをあきらめて会社員になることは「逃げ」とか「淘汰されたもの」みたいな感じがして、自尊心がそこそこ傷つけられると思うし、だから意地でもデザイナーになる。
今回の講演では、そういう選択肢のほうが社会には役立つことかもしれない、っていうのを考えるきっかけになったと思う
中央公会堂の中、一度入ってみたかったので入れてよかった