客寄せパンダ

新宿にある夫の実家で目覚める。人のおうちってなんだかいいな。いつもと違うおふとんの肌触り。毛布がふわふわで、いい香りがして、いつまでも眠っていたくなる。窓からは富士山が見えるけど、もうすぐマンションがたっちゃうらしい。都会の景色はどんどん変わっていっちゃうんだな。それにしても、まさかじぶんが東京に帰省することになるなんてな。

それから上野動物園へ。上野駅はあたりが一面パンダ、パンダ、パンダ。客寄せパンダって、まさにこのことなんだな。それから、赤ちゃんパンダの<シャンシャン>には選ばれしものしか会えないらしい。けど、お父さんにはお目にかかれました。パンダって不思議だな。ごろんとしながらごはんを食べたり、こだわりが強かったり。野生っぽくないんだもの。野生じゃないけど。

夫が同窓会に行ってしまったので、喫茶室ルノワールでこの日記を書いています。夜行バスで京都に帰るよ。

富士の元日

朝の新幹線に乗って東京に向かう。ふだん出張で使うのはスーツのおじさんばかりなのに、子供の声ががやがやとしている。富士が見えると、みんなして写真を撮り始める。わたしも同じように撮る。二〇一八年年、元旦の富士。おめでたいね。おめでとうございます。

結婚したものですから、正月は夫の実家のある東京で過ごすことになるらしい。三十人くらい、親戚で集まるところにわたしも加わった。お正月にちょっとこぎれいなレストランに行くと、家族でたくさん集まっていることがあるでしょう。まさにあの感じなのです。親戚家族と話すの、なんだか新鮮だな。子どもたちとトランプで遊んだ。そうか、わたしはあの子たちの叔母なんだな。

きょうは、そうだね。りんごとテールスープがおいしかった。

2017年の映画と本

映画

愛のむきだし

愛のむきだし

4時間あったとは思えない爽快感。しびれる、という表現がとても良く似合う。叫んでる満島ひかりさん、男!死ね!って言って殴る満島ひかりさん、セーラー服で踊る満島ひかりさん、どれも最高。ゆらゆら帝国の「美しい」のイントロがまたかっこいいんだよな。


パッチギ!

パッチギ!

1968年の京都が舞台。ザ・フォーク・クルセダーズの音楽が全編に渡って流れる。映画「この世界の片隅に」を見たあとだったので「悲しくてやりきれない」が身に染みた。今はないけど高校時代(2007年くらい)にはあったピンク映画館が写っていて懐かしかった。京大西部講堂での学生運動のシーンがあったりして、近所に住んでるじーちゃんはこの時代の京都に生きていたんだな、て思うと感慨深かった。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

愛おしい一冊。マイノリティの対義語はマジョリティではなくて、「自分がマジョリティであることを意識したことのない人」なんだな。2017年はこの本に出会えてよかった。


たとえる技術

たとえる技術

大好き!せきしろさん。文章ってやっぱりおもしろいものだよな。日常にある何でもないことの捉え方が変わってくる。kindleで読んだけど、良すぎて紙も買いました。


ナンセンス・カタログ (ちくま文庫)

ナンセンス・カタログ (ちくま文庫)

これもまた日常のあらゆるものに対する捉え方が変わってきてすてきだ。身近なものを観察したくなる。


弟の夫(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

弟の夫(1) (アクションコミックス(月刊アクション))

これだけ漫画です。知らないことを知るに対話するしかないんだな、とあらためて思った。愛おしいので紙で買って置いておきたいな。

海と山を渡って。

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自転車と青春18きっぷを持って、電車に乗った。尾道からスタートして、道後、別府、阿蘇へと渡った。お湯をたくさん浴びた。なんだか日常に疲れているような気がしていたけど、そんなことはどうでもよくなった。尾道から島が幾重にも重なって見えるのと、伯方島の海の色と、八幡浜の緑色のクレヨンで描いたような山と、阿蘇スカイラインの夢みたいな風景。すてきだった。あれはいいね。海と山の町。

クリスマスに出発したのに、京都に帰ってくるとあたり一面が年の瀬の様子。道行く人々がキラキラと「良いお年を!」なんて叫んでる。四条河原町で自転車を組み立てていると大学の友人にたまたま会って、家を買った!と報告されたのも可笑しかった。家につくと、すっごく散らかっていて気持ちが沈んでいることに気がついた。そうか、わたしは家の整っていなさに落ち込んでいたんだな。今日は一日部屋の片付けをした。

ところで、「良いお年を」ってどういう意味なんでしょう。今年の残りの時間をすてきに過ごしてね、ってことなのか。それとも来年一年すてきになりますように、ということなのか。よくわかっていないけど、なんだか祈りのことばのようで好きなんだな。

贈り物にシュトーレンを。


普段どおり仕事から家に帰ってくると、玄関には袋が掛かっていた。名刺と手紙が添えられていた。その前日に仕事で会った人からだった。中身はシュトーレン。その日は十一月の末で、すこし早いクリスマスプレゼントだな、と思った。袋がかかっているのも靴下っぽいでしょ。
それから毎日うすーく切って食べていた。無意識にやっていたことだけど、どうやらシュトーレンとはそういうものらしい。クリスマスまでのアドベントなんだって。すこしスライスしてはクリスマスに思いを馳せる。素敵だよね。てっきりお菓子をもらったものだと思っていたけど、クリスマスを楽しみに思う時間をプレゼントしてくれた、ということでしょう。ああ素敵だ。もし来年のクリスマスの前に何かプレゼントすることがあれば、シュトーレンにしよう。粋な大人の贈り物。

歩いて通勤してみることにした #きょうの京都

ずんと重くなった体を、なんとか軽くしようとするものの、なかなかどうして痩せられない。
見かねた夫が、歩いて会社に行くことを提案する。
なるほど、わざわざ特別な時間を作らずとも、毎日の移動を使えばいいんだ、と。

ラッキーなことに、わたしの通勤経路には鴨川がある。これはいいぞ。
亀の甲羅の形をした石を、ぴょんぴょんと飛び越えていったら会社につくんだから。

川が青く光る。
サギが一箇所に群れている。
鴨が地面の草をついばみながら横切っていく。
階段を登って、御池通りからふと北のほうを見ると、山々がすこしきりりとして見える。
この解像度はやはり、このくらいの寒さならでは。

歩いてみてわかったことは、いつもより時間の密度が濃くなること。
するりするりとすり抜けて行く風景の、ディティールの部分まで見えるようになる。
これまで散歩の楽しみ方がわからなかったけど、こんなふうにすればいいんだ。

27歳は「読む」と「書く」一年にしたい

27歳になった。
これまでの誕生日というと、そわそわとするものだった。
なんなら一ヶ月ぐらい前から意識するし、一週間前なんてもう大変。
誕生日に予定が入っていなければ本気で落ち込むのでわざわざ実家に帰っちゃう。
TODOリストに「誕生日のブログを書く」なんて入れちゃう。
一年で一番のイベントだったんですね。

それが今年は、なんというか普通の日。
「おっ、来たな」くらいの。
あっ、シャンプーなくなっちゃったな、買わなくちゃ、くらいの。

自分の中で何かかわったのかしら。
そういえば、コンプレックスに感じていたことがどうでもよくなっていることに気がついたし、
漠然とした悩みごとが減った。
結婚したことが大きいのかな。
どんな自分であっても受け入れてくれる人がいる、という安心感か。
そんなわけで、今年の誕生日はなんとなくやってきた。


あとから辿れるように26歳のことを振り返っておく。

26歳のこと

社会人になってからずっと、ずーっと忙しくしすぎていたのだけれど、
26歳はかなりゆっくり過ごしていました。
それから結婚をした。

たくさん文章を書いた

週に2回くらいで、文章を書くようになった。
うまくいかなかったり、うまくいったり、いかなかったり。
難しいけどたのしいね。1月くらいからずっと続けているけど、いつだって背筋を伸ばすような気持ち。
あれ、それにしてはちょっと上達しなさすぎかな。

今までとは違ったタイプの娯楽に触れてみた

Switchを買ってみたりアイドルのコンサートに行ってみたり。
一時期(といっても一ヶ月くらいか…)ゲームに夢中になっていたのだけれど、
急にどうでもよくなって、最近はぜんぜん。
何か一つのことに夢中になり続けるのが苦手だというのがわかったし、
作る娯楽のが好きだということもわかった。

27歳のこと

もっと幅のある文章を書きたいんだけど、それには、経験していることが少なすぎる。
たくさんの生活や感じ方をストックする年にしたい。

本を読む

今まで実用書っぽいものを読むことが多かったけど、ジャンルを広げていきたいな。
文学だったり、社会学だったり、哲学だったり。
雑誌を読むのもいいかもしれない。

ブログをもっと書く

当たり前だけど、文章って書かないと上達しないんですね。
週2くらいで文章を書くようになってみて、特定の一種類でもダメなのだな、とも感じている。
たとえ短くとも、この日!というのをちゃんと決めて、徐々に増やしていきたい。


このブログを書くために、今まで書いたのを振り返ると、
ちゃんと積み重なっているのがわかって、自分で言うのもなんだけど、感動する。
一年後のわたしはどうなっているんでしょうか。

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結婚した

文化の日
両家顔合わせということで、行ってみたかった料亭で食事をした。
お互いの親に証人の欄を埋めてもらった。
親を見送って、その日のうちに役所に向かった。
タクシーのおっちゃんに「婚姻届を出しに行くんです」と言うと、
「それはそれは、おめでとうございます!」と言われたのが嬉しかった。


結婚の決め手は?なんて聞かれるけど、これが難しい。
ご飯を作りながら変な踊りを踊ったり、
二人にしか通じないことばで会話してみたり、
東京出身の彼に「551の豚まんがあるとき〜!」って言ってキョトンとされたり、
へたな演奏でコピーバンドやったりする、
そういう日常を愛しているからで。
それは「一緒にいて楽しいから」という、月並みな答えになってしまって、
求められているようなかっこいい答えができない。

最近ではなんというか、自分がもう一人いるかのような感覚になっている。
自分を大切にするのは当たり前だし、
苦しんでいるときは少しでも早くやわらげたいし、
幸せにしてあげたいし。
そんな感じで、これといった理由はなく、夫婦になった。

まあでも、一つあげるとするとすると、
この人の元に生まれる子供はきっと幸せだろうな、と思ったからかな。

生まれてきて、親に育ててもらって、ひとりで暮らせるようになるまでが第一章とするなら、
別の誰かと一緒に生きていくのが、第二章のはじまり。(と、わたしは思っている)
人生の第二章、いいじゃないですか。ふたりでゆっくりと歩いてゆくんだ。

団地とwebサービスは同じかもしれない。

先週の金曜日、「団地図解」という本の出版イベントに行ってきた。
本に取り上げられている千里ニュータウンを紹介しながら、団地を読み解いていく。
サブカルチャーやノスタルジー的なコンテンツとしてではなく、建築や都市計画の文脈の団地。


千里ニュータウンと団地

全然知らなかったんですけど、千里ニュータウンというのはいくつかの団地が集まってできているんですね。
そのうちのひとつである千里青山台団地。
ここは丘陵を切り崩してできた切り開いてできたから、すっごく高低差のある場所。

素人目線で考えると、斜めの部分に建てたくないじゃないですか。なんというか、すごく難しそうだし…。
地面を平らにすることばかり考えると思うんですね。
けどこの団地では建物のほうを工夫した。
ピロティやポイントハウスといった、傾斜に建てられる住棟を選んだ。

それはなぜか?
ハイテク重機のない時代で、丘を平らにするのにすごくお金がかかってしまうのもあったんだけど、できるだけ元の自然を残そうとしたから。
そして工夫の末できたのは、緑と団地がゆるやかなスロープ状に広がる豊かなランドスケープ
それはそれは気持ちの良い風景。すこし写真を見ただけでも素敵だなあと思える場所。
いちど行ってみたくてたまらなくなった。特に目的はなくとも。


たぶん、ふつうに作ったら建築なら建築、土木なら土木だけで独立した作りになったのでしょう。
そうならなかったのは、すべての要素を踏まえて全体を見渡す役割の人がいたから。
地形や建築方法などの制約のなかに彼らの工夫が読み取れるから、団地はおもしろい。(団地係と言って、当時のエースだったんだって。)


しっかし、何万人もの暮らしをデザインするって、どういうことなんだろうね…。
この時代みたく一気に人口が増えることって、もうないのかもしれないけれど。
(当時の映像も見せてもらったんだけど、あまりにも夢が詰まりすぎていて泣きそうになった。笑)


ちなみにだけど、わたしは団地育ち。
生まれてこのかた、無作為に建物が並べられているのだと思い込んでいたけれど、そうではないんだな。
すべての棟が南を向いていて、歩行者と車の分離がされていて、団地のあちこちに広場がある。そうなっている意味すら考えたことがなかったけれど、あれはすみずみまでデザインされたものだったんだ。

団地とインターネット

人々がいて、たくさんの制約のなかでサービスを提供できるよう計画すること。
その考え方は団地だけの話かと思いきや、ほかにも共通する部分がある。
たとえば、普段わたしが仕事として携わっているwebサービスだってそう。
人々がいて、デバイスや人件費といったあらゆる制約のなかで、サービスを提供できる場をインターネット上につくる。
点ではなく線や面の考え方で、人々の体験を作っていく。
IT系の人は、ついついパソコンの中で起こっていることだけで考えがちだけど、実はもっと別の分野に学べるところがあるんじゃないか。
それこそ団地なんて半世紀前に国をあげて試行錯誤されたものでしょう。それを使わないなんて、なんだか勿体ないな、なんて。

団地図解: 地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考

団地図解: 地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考

余談だけど、このイベントを取りまとめていたのは大学の先輩。
IT系の仕事に進んで、もう建築や都市に関わることはないと思っていたから、まさかこんな形で会うとは!
大学時代にほんのすこしだけ学んだ建築が今になって役立つようになっていて、なんというか、人生はまだまだわからない。

夏の夕方が好きになった #きょうの京都

八月ど真ん中の昼下がりには、一歩だって外に出たくない。
二階のエアコンをガンガンに効かせて、パソコンをちらちらと眺めながらじーっとしている。
18時くらいになると、もうすぐ一日が終わってしまうと焦り始める。
一日外に出ていない罪悪感から、ちょっと体を動かそうとランニングウェアに着替える。
外に出てみると、すこしだけ涼しい。
のろのろと、歩くよりは少し速いくらいのペースで鴨川につく。

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夏の夕方って、こんな顔をしているんだ。

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京都の夏はもう八度目になるのに、こんな風景があるなんて知らなかった。
なんとなくもう、京都のこと知り尽くしたつもりでいるけど、まだまだ知らないことだらけだ。
今年は一つ、好きなものが増えた。だから今年はいい夏だった。



今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏