ポスターコンテストで優勝して、タルト1000個貰えることになった

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朝、目が覚めると「二次審査の結果と表彰式のご案内」というタイトルのメールが来ていた。
友人たちと三人で応募していたポスターコンテストの結果が来ていたのだった。なんと一次審査・二次審査を通過し、上位8作品に入ったらしい。そしてその三日後にはグランプリの発表とその授賞式が開かれるという。
飛び上がるような気持ちだった。というか本当にベッドの上で何度か跳ねたし、枕に顔をうずめてジタバタバンバンするやつをやった。
何を着ていこう。授賞式なんて生まれて初めてだ。
クローゼットの中を見て、手作りのワンピースにお気に入りの革靴をあわせることにした。髪も、簡単なアレンジを練習した。
当日会社に行くと「あれ?今日いつもと違いますね」なんて言われて「へへへ、今日の夜はパーティなんですよ!」なんて答えた。

今夜はパーティなんですよ。

人生でこんな言葉を発したことがあっただろうか。その日わたしは完全に浮かれていた。何かの予感がした。そわそわした気持ちと、すこしの緊張感を持って会場に向かった。



応募したポスターコンテストというのは、チーズタルト「BAKE」の京都寺町店を中心にしたポスターコンテストである。(詳しくはこちら
上位8作品は、事前に記事に出ていた。自分たちが作ったポスター以外に京都らしいものがなかったので、準グランプリぐらいはいけるんじゃないか?なんて話をしていた。
各作品の講評に入る。ポスターを作るのは初めてだったので、なるほどこんなふうに商品を打ち出すんだ!とか、こういうふうにメッセージを込めるんだ!とか、食べ物のポスターってこういうふうに捉えるんだ!とか、言葉の一つ一つが勉強になった。
そして発表へ。先に準グランプリ3作品が発表される。一緒にいた同じチームの鈴木くんが両手を絡み合わせて祈るポーズをしていた。それがかわいかったのでわたしも真似をした。

1作目!
あー、この作品めちゃくちゃかわいいよね!

2作目!
えーっ!これがグランプリ取ると思ってたのに!

3作目!
……あれ。これも素敵だったけど、わたしたちのポスターが準グランプリに入らなかったぞ……?


心臓がバクバクと打つのが聞こえる。引き続き祈るポーズを取る。
グランプリが発表される。選ばれたのは、わたしたちの作品だった。
わけのわからないまま前に出る。商品は現金15万円か、チーズタルト1000個が選べた。準グランプリの3チームが現金2万円を選ぶなか、わたしたちはBAKE1000個を選んだ。



作品の始まりは、「やいてるの?」というフレーズ。
鈴木くんがはじめてBAKEを食べたときの感想。とろとろで、本当に焼いているのかな? と、自然に出た言葉。
それを恋愛の「妬いてる」にかけたらおもしろいんじゃないかと。
刺激的でびりびりとして、それでいてあんにゅいなセリフ。(実際に言われると困るんだろうけど)
これ、ぜったいにぐっとくるよ!とゴリ押しして進めた。
シュチュエーションに落とし込むのは難しかったが、舞台を鴨川にしようというのはすっと決まった。
あとはフォトグラファーの大坪くんが、いつもどおりの素敵な写真を撮ってくれた。



京都で過ごしたことのある人だったら、何か1つくらいは鴨川に思い出があるのではないか。
わたしは、心の拠り所にしている部分がある。
出勤時やランニング時になんとなく眺める風景としてはもちろん、花見をしたり花火をしたり。夜中に集まってだらだらと酒を飲んだり。理由もなくぼーっとしたり。
つい最近だって、ここで食べ物持ち寄りピクニックをして、ゲームを楽しんだ。
phaさんの記事にある、「100メートル置きくらいに何らかの思い出が埋まっている」というのがとてもよくわかる。鴨川に来ると、何かしらの記憶が蘇る。
……そんなふうに、京都に縁のある人だったら、この風景にきっと馴染みがあるんじゃないかな。そんな親近感を狙って鴨川というのがわかりやすいような写真を選んだ。



商品をチーズタルト1000個にしたのは、絵面がオイシイからというのはもちろんなんだけど、1000個を使って何か楽しいことができそう!というのがあったから。
「商品のチーズタルトがとにかくたくさんあるから」という理由で会える人がいると思う。
お金はお酒でも飲んでいたらすぐになくなるけれど、誰かに贈り物をするのはもっとステキなことを運んできてくれると思う。
BAKEにはそんな力があると思うし、期待している。



最後に、コンテストを企画してくださったBAKEのみなさん、ありがとうございました!
賞をいただけて本当にうれしいです。
パン屋さんのサンドイッチを買って鴨川で食べるのが好きだったけど、これからはチーズタルトを頬張るようになるのかな。
まさか本当に1000個のほうが選ばれるとは思っていなかったようで、京都店のみなさまにはご迷惑をおかけしますが、京都に住む人達が楽しめる形で大切に使いたいと思います。
一緒につくってくれた大坪くん鈴木くん、ほんとうにありがとう!


【写真】大坪侑史 (instagram: @tsubottlee
【企画】鈴木伸也(twitter: @ninokin0929
【デザイン】百合佐織(twitter: @yulily100


カレーラーメン、それはオカンが土曜日に作る簡単な昼食のような存在である

チームの後輩が頻繁に行っている店がある。週に一度は行っているような気がする。なんならチームのメンバーも連れてよく行っている。よくよく聞いてみると「カレーラーメンの店」だと言う。

ほほう、カレーラーメンとな。

調べてみると「ひゃくてんまんてん」という名前のお店だった。三条通りにあって、のれんだけは見かけたことがあったが、入ったことはなかった。

まあ一度くらい、ということで早速行ってみることにした。職場からは徒歩5分ほどで、お昼休みにちょっと出るのにも最適だ。
のれんをくぐって二階へと続く階段を登る。内装はなかなか渋い。学生街に古くからある食堂のような面持ち。
だが悪くない。いやむしろ、わたしはこの年季の入った感じが大好物である。

メニューを見る。
平日昼のランチメニューには「カレーラーメン、ミニカレー付き」という文字が見えた気もするが、とりあえず気にしないでおこう。
カレーラーメン」を頼むため、定員のおばちゃんを呼ぶ。老夫婦が切り盛りしている店、というのもなんとも良い。
そして、そわそわとした気持ちやってきたのが、これだ。


おお。まあまあ予想通り。スープがカレーのラーメンである。ネギはキラキラしていて、彩りのために添えられたようなものではなくしっかりとしている。
さっそく麺をすする。
うまい! だが、飛び上がるほどおいしいというわけでもない。
熱いスープを冷ましながら食べ進める。
ふうん、まあ、おいしいんじゃないの……?
そんなふうに思いつつもスープをすべて飲み干していた。


決して脳にガツンと来る感じではない。「ここでないと食べられない!」と思わせるような尖った個性もない。
しかしながら単調で平凡というわけでもない。スパイスの具合が絶妙で、後味がほんのりピリッとする。
最後まで飽きずに楽しく食べられること、来週もまた食べたいと思わせること。
その両方のバランスが、なんというか絶妙なのである。

この感じ、今までの人生にも経験したことがある気がする。
あ、あれだ。
オカンが土曜日に作る簡単な昼食のようなやつだ。
うどんとかインスタントラーメンとか、チャーハン的なあれ。
レストランで出されるようなとびきりおいしいものではないけれども、わたしは土曜日の昼食が大好きだった。たとえ前の週がうどんだったとしても、残り物の具材なんかを突っ込んだ「今週のうどん」は嬉しいものだ。


そうして気がつくと、カレーラーメンが食べたくなっている。
三月後半の二週間では三度も行ってしまった。
行列して食べるものではないし、ものすごくおいしいものを期待して行く店ではない。
けれど、食べた瞬間に「これこれ」と安心してしまう。
これが「ひゃくてんまんてん」のカレーラーメンである。


カレーとラーメンのひゃくてんまんてん
ひゃくてんまんてんの食べログ

ほかの食べ物記事

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ひとりで見ていた風景に、ふたりでの暮らしが加わる

鴨川デルタに初めて来たのは確か十八歳の春だった。進学が決まった大学へ向かう最初の日か、何かそんな感じだったと思う。
京阪電車から降り地上へ出ると、橋が架かっていて川と川が合流するのが見えた。それから亀の形をした飛び石を渡っていく人や、並んでパンのようなものを食べる人。新生活への期待感も相まって、なんだかすごく素敵なところに来てしまったな、なんて思った。

去年の年末くらいからふたりで住める家を探し始めた。今まで川のそばに住んでいたのが気に入っていたから、次も川のそばが良かった。
賃貸ポータルサイトをふわっと使ってみる。「駅から10分、オートロック有り」みたいなチェックマークをぽちぽちと押していくと、条件に合う家が何百件と出てくる。ピカピカで素敵なんだけれど、どれも同じに見えて一つを選ぶのが難しかった。
「ピンとくるものがなかなかないね」なんて言ってたところで、少し個性的な物件を扱うサイトを教えてもらった。そこで鴨川近くの心地好さそうな戸建を見つけた。その日のうちに内覧を申し込んだ。


明るい窓のあるキッチン
気持ちよく年を取った柱
まだまだ荒れ放題の坪庭
綺麗に張り替えられた壁
少しだけ傾斜のある天井


木造築50年にびびりながら部屋を見せてもらったが、これは……すごくいい。
前の住人はきっと、大切に大切に使っていたのだろう。古くはあるが、決してボロくない。歳を重ねた柱でしか出ないような味わいや、昔ながらのタイル張りの浴室。その一つ一つがたまらない。

そうしてふたり暮らしがスタートした。
生まれてからずっとマンションに住んでいたので、初めての戸建である。
想像通り木造建築はめちゃくちゃ寒い。さっそくお揃いで買ったもこもこのルームシューズにユニクロのウルトラライトダウンを着込む。家にいるのに山小屋みたいな格好。寒さに身を寄せ合って生活をする。
けれども、そういう風景もまた愛おしい。背伸びしない感じが自分にぴったりくる。いつかこの家を出ることがあれば、あの格好は可笑しかったね、なんて話すのだろうか。

引っ越し当日は大粒の雪が舞うような険しい日だったけれど、最近は縁側に入り込むあたたかい光を浴びながらウトウトとするようになった。鴨川をランニングしてみると、きゅっと結ばれた鴨川の桜のつぼみが日に日に大きくなるのがわかる。

だんだんと、春になる。

十八歳の時に一人で見た鴨川デルタは、これからは二人で見る風景になる。

2017年の抱負

抱負を書こう書こうと思ってたら、1月も終盤に入ろうとしてた…。
書かないのも気持ち悪いので、自分用に簡単に残しておこうと思います。

好きなことを見つける

忙しく過ごしているうちに、自分が本当にやりたいことがわからなくなってきてしまった。落ち着いたら●●が作りたい、みたいなのがたくさんあるのだけれど。やりたいことがわからないと、漠然とした不安に襲われるようになる。今年はちょっとひと段落して、自分の好きなことを見つける年にしたいな。

忙しくしない

去年の抱負にも「忙しくしないこと」を挙げたけれど、結局忙しくしてしまった。身についた知識もたくさんあるけれど、だんだんとルーチンになってきてしまった。一旦流れを変えたいから、「断ること」をがんばってみる。苦手だけれど。

書くことにこだわってみる

2016年くらいから、自分が書きたいと思う文章が書けるようになってきた。自分がつくるもので「いいものができた!」って感じられるものがあまりなかったのだけれど、書くことについてはここのところ調子がいい。今まで書きたいけど書けていなかった文章を、もっと書いていきたい。



こんなもんかな。去年は新しいことに開いていく年だったけど、今年はちょっと保守的に行こうと思っている。
日常が大きく変わりそうなのでそれが楽しみ。何でもない一日一日に、より多くを感じ取れるような一年になりますように。




2016
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2015
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2014
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昔の日記を読んでいると、昔の幼さにびっくりするなあ。

親が天ぷらを揚げる音はもう聞けないのかもしれない

昼と夜の間くらいの時間に、おばあちゃんお父さんお母さんそれからちいちゃな子供2人の家族がおぼつかない足取りでバスに乗り込む。あっているはずなんだけど、という不安そうな空気感を横目にこういうのもお正月らしいな、なんて思う。バスが出発する。ここ数年、京都で年を越して、元日の夕方に帰省するのがいつものパターンになってきた。

元日の夜、寒気がすると思ったら発熱していた。次の日になっても気だるいのが続く。昼には帰るつもりだったのだけれど「もう一泊していったら?」の声に甘えて、パジャマのままゴロゴロとしていた。ちょっと楽になったかと思って起きていると、すぐにしんどくなってきてまた布団に入るのだった。

寝てるんだか起きてるんだかわからない正月。薄暗い部屋が日暮れとともにさらに暗くなってきた。あいふぉんを片手に、新年のご挨拶や豊富でいっぱいのインターネットを観覧していると、よく聞き慣れた音が聞こえてきた。


トントントントン
パチパチパチパチ
ザッザッザッザッ


一人暮らしの家では聞くことのない、誰かがご飯を作ってくれている音。音から察するに、今日の献立は天ぷらだろう。モソモソと起きてきて、大根おろしをお皿に盛る。母曰く、年に一度しか作らなくなったそうだ。


あー。もう、これは日常じゃないんだよなー。


エビを頬張りながらそんなことを思った。熱が出たからこうしてヌクヌクとしているけど、本当なら京阪電車に乗っているところだもんね。

布団の中で眺めていたSNS。年々、子どもの写真がたくさん出てくるように思うし、正月は旦那さんの実家に!なんてのも当たり前のように見るようになった。同じように、いつかわたしも実家で過ごすことが無くなるかもしれない。いつか、この音を聞かなくなる日がくるのかもしれない。

たとえる技術

たとえる技術

寝てるんだか起きてるんだかわからないときにこの本を読み終わった。日常にある何でもないことの捉え方が変わってくる。たとえば、何度となく聞いた、「親が料理をする音」に耳を傾けたくなる。風邪がほどよくなった一月三日、京阪電車に乗って今のわたしにとっての日常がある街に戻る。



2017年1月1日、鴨川デルタにて

坦々ポテサラという暴力について

ポテトサラダが大好きだ。ジャンルを問わず、あらゆる居酒屋に置かれている。オーソドックスな大衆居酒屋から、ちょっとこじゃれたビアホールまでカバーする。そのカバー力の高さは、ギャル系からナチュラル系まであらゆる系統の女性から好かれるきれいめカジュアルファッションの男か!と言いたくなる(※独断と偏見です)。マヨネーズをふんだんに使ったがっつり系のものがあれば、いもの素材の味を生かしたものまで。専門店では、あつあつにマッシュされた芋とともにそれぞれの得意分野がボウルに突っ込まれている。和知みたいな燻製屋さんでは、燻製ベーコンを使った香り高いポテサラが。おでんやさんであるだるまときんぎょでは、おでんの旨味たっぷりのだしに漬かったじゃがいもとたまごを使って作られるポテサラが。

専門店が表すものは味だけではない。ビニールシートに覆われたニュー大文字では、大衆居酒屋らしく景気良く高く積まれたものが出される。
そしてわたしには、そんな素敵なお店のどこに行っても同じように唱える呪文がある。

「生ビールとポテトサラダ、とりあえず以上で」


それから担々麺が大好きだ。餃子や麻婆豆腐には白ごはんが欲しくなるが、担々麺なら一皿でオールオッケー。人数が多い方が楽しい中華だけど、担々麺なら一人でも楽しめる。スープを全部飲むのは大変だけれど、スープの底に沈んだひき肉がおいしくてついつい何度もすくってしまう。気がつけば全て飲み干していて、お腹がいっぱいで動けなくなってしまう。でも担々麺なら大丈夫。スープの気分じゃないときには「汁なし」という選択肢。担々麺にだけ使われるこの「汁なし」という表現が、なんだか可笑しい感じがして好きだ。

寒さもひとしおになる今日この頃だけど、凍えそうな夜にこそ辛くてあたたかな担々麺をすすろう。山椒がとびきり効いた駱駝の本格担々麺で思い切り汗をかくのもいいし、コクが強いものが良ければ万豚記の一面黒ごまの担々麺を食べてもいい。麺を味わいたければ、煌力でスパイスと絡めた汁なし担々麺を食べる。


そして出会いは唐突だった。なんの気なしに「餃子食べたい餃子〜」とブラブラと向かったのはタイガー餃子である。行きたいと思いつつ、行けてなかった店のひとつだ。チャオチャオ餃子のような変わり種餃子かな? それとも杏っ子のような鉄鍋で行儀よく出てくるもの? はたまた餃子王のような皮がもちもちなのもいいなぁ…なんて想像を巡らせながらメニューを開くと奴は居た。普通のポテトサラダの横に「坦々ポテトサラダ」なる文字が踊っていた。このときの衝撃よ……。冒頭でポテサラは和にも洋にも合うと言ったが、まさかの中華である。わたしにとっての大好物をこんな暴力的に掛け合わせてしまって……。
そんな、ざわざわとした気持ちのところにやってきたのがこれである。

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ど、、どひゃー!!!
ポ、ポテサラ見えねえ・・・!


ポテサラを覆い隠すように「坦々」が乗っている。しかもこんなにたくさん……! 弾むような気持ちで自分の皿に取る。食べる。山椒がしっかり効いたひき肉としゃきしゃきのネギが、まろやかで甘めに作られたポテサラと良く合う!! なかなかガツンとした辛さであり、ビールとの相性は抜群。担々麺そのものは酒のつまみにしづらいが、これなら何杯だっていける。なんてこった、また新しいおいしいものを見つけてしまった……。餃子を食べにきたのに坦々ポテサラにしてやられた。坦々ポテサラに打ちひしがれる気持ちと、まだまだおいしいものが世の中にはたくさんあるんだなあという喜びを持って家に帰ったのだった。



……何を言いたいかだんだんわからなくなってきたけど、タイガー餃子の坦々ポテトサラダがおいしかったのでおすすめです。タイガー餃子は京都のお店というわけではなくチェーン店です。東京にもあるようですね。そしてこの記事は、はてなスタッフアドベントカレンダーの22日目で、お題は「好きなもの」でした。私は特別好きなものというのが無いので無難に好きな食べ物の話をしました。
昨日はid:rikoさんの「八木新宮線にまた乗ってきました - 汎インターネットピクニック日記」でした。明日はid:motemenさんです。


タイガー餃子会舘 | 際コーポレーション

呪いになる言葉

note.mu
これを読んで思い出したこと。

そういえば、子どもの頃はじぶんのことを救いようのないブサイクだと思い込んでいた。いつのころからか親にそう言われていた。父はわたしの似顔絵をよく描いていたんだけど、そこにはお世辞にも綺麗とは言えない顔の像が描かれていた。細い目とふっくらとした頬を滑稽に強調させた、おかめみたいな顔の絵。(まあ、そうなんだけど。笑)そういうのを見るたびに、自然と外見にコンプレックスを持つようになった。そのなかでもいちばん嫌いだったのが鼻の下にあった大きなホクロ。人と話すとき、ホクロを見られているような気がしてうまく目を合わせられないことが多かった。性格も今よりもずいぶん暗くて卑屈だったと思う。

中学を卒業した春休み、転機は簡単な形で訪れる。ホクロをコンプレックスに思うことを見かねた母親が、レーザーとやらで取らせてくれた。実際には3ミリ程度の小さな点が無くなっただけだけど、大きな重荷がきれいさっぱり無くなったようだった。世界があざやかに見えた。その勢いで髪を染めたり化粧するようになり、性格も多少は明るくなった。(校則がゆるく、毛染めや私服が許される学校だった)

今となってはわかっている。人にとって自分以外の誰かの顔なんてどうでもいいんだよね。ましてやホクロがあるかどうかなんて本当にどうだっていい。そんなことで卑屈になるなんて大損である。けれども当時はそうとは思えなかった。まるで何かの呪いにかかっているようだった。

このことで親を恨んでいるかと言われると、そんなことは少しも思わない。けどもし自分に子どもができたとしたら、そんな呪いをかけないようにしたいな。かわいいかわいいって毎日言いながら成長を見守りたい。できるのかしら。

タイでゆったり過ごした4日間

四条烏丸の西にあるパクチーで食事をしていると、タイへの旅のポスターが目に入る。冗談交じりに「行く?」なんて言いながら、手持ちのあいふぉんで「タイ 旅行」と調べると、雨季の明けた11月が過ごしやすい、という情報が手に入った。それでは、ということで、三ヶ月後の飛行機とホテルを取った。タイは暑くて開放的な都市だった。人々はずいぶんと気楽に過ごしているように感じた。ごはんがおいしかった。



空港に着くとさっそく「タクシーヤスイヨ!」なんて話しかけられるが、目を合わせないようにする。ホテルで荷物を預けて、さっそく歩き始める。現地の人たちが使うバスは乗るのも降りるのも難しい。結局間違ったところで降りてしまったけど、思いがけずチャオプラヤー川を掛かる橋を渡ることができて楽しかった。






タイのごちゃごちゃしたところを抜けて、ベタにワット・ポーを観光する。いつだってそうだけど、どこに行ってもネコばっかり撮っちゃうんだよね。チャオプラヤー川を渡すエクスプレスボートに乗って行った場所は、ガイドブックにはあまり乗らないような場所。観光地もいいけど、現地の人の生活が感じられるのは愛おしい。日本では見たこともないようなお寿司の屋台にケラケラ笑いながら歩いた。



ホテルにチェックインすると、バースデーケーキが置かれていた。わたしの誕生月だったから? こういうサプライズを経験するのは初めてで、とても感動した。夜にはスパークリングワインのサービスが置かれていたんだけど、クタクタで飲めなかったんだよね…。



次の日は早朝からバスに揺られてサメット島という島へ。長いバス移動の疲れも、フェリー乗り場から見える青い海を見ると吹き飛んだ。海を見ながら食べるグリーンカレーは、ひょっとすると4日間で一番おいしかったかもね。



タイではなぜか、あちこちで犬を見かける。放し飼いなのか野良犬なのかわからないけど、この日もこれでもか!というくらい見かけた。寝てるところに近寄ると目が合ったりする。




サメット島のビーチはのんびりとしている。欧米人の観光客がほとんど。ちょっと海に入ったり、ビーチを散歩したり、パラソルの下でゴロゴロして過ごした。ゆっくりとした時間が流れていた。



帰りのバスがバンコクについたころにはもうヘトヘト。日焼けも痛い。遅い時間でレストランは閉まり始めていた。途方にくれながら「ここでいいか」と食べた屋台のパッタイ、すごくおいしかった。コンビニの前の路上にででんと椅子とテーブルが置かれていて、なにかのスポーツ帰りの少年たちや、いまから遊びに繰り出すお姉さんたちを横目に食べた。



鉄道に乗って向かったのはアユタヤ。駅で電車が止まって、ホームらしいものが見当たらなくて戸惑ったけど、どうやらそこそこの高さから飛び降りるのが正しかった。鉄道は時間がかかるけれど、車窓から見える景色も含めて楽しい。






寺院を見て回った。当たり前だけど寺院を取り巻くようにお店や家があって、そこで暮らしている人がいる。犬はこんなところでも眠っている。



レンタサイクルには「警視庁 杉並」の文字。こんなところまで来ちゃってね。



帰りはロット・トゥーという乗り物に乗る。マイクロバスのようなミニバンのような乗り物なんだけど、内装がデコラティブで変な感じ。鉄道よりも早くて狭い。この日はトンロー駅のほうを歩いた。





最後の日は、現地ツアーに申し込んでダムヌンサドゥアック水上マーケットへ。手漕ぎのボートを漕ぐのはだいたいおばちゃん。マッドマックス的世界観の暴力みたいな駆動付きボートは若い男の人が操縦することが多かったかな。ベタだけど、巨大なヘビを肩に巻いたりゾウの背中に乗ってゲラゲラと笑った。



そんなこんなで、最後にはスカイトレインに乗った。切符はなくて、磁気のカード。渋滞にヒヤヒヤしながらも空港まではタクシーでスムーズに移動できた。言葉が通じなくて困ったこともあったけど、ごはんが美味しくてとにかくサイコー。タイの人はニコニコしている人が多くて、そこまできっちりしすぎないところが心地良かった。帰国して数日後、旅行の打ち上げと称して行ったのはもちろん四条のパクチーシンハーを片手に、パッタイグリーンカレーを食べながらタイのことを思い出していた。

26歳になった

さて、今日で26歳です。毎年自分の誕生日にブログを書くようにしているので今年も書きます。昔書いた日記を読んでみると、その時考えていたことが手に取るようにわかって楽しい。昔と変わらないようでいて、全然違っていたりする。数年前の自分の感性がずいぶんと幼く感じたりする。いまは、ずいぶんと大人になったなあなんて思っているけど、10年後なんかに見ると幼稚すぎてびっくりするのでしょう。良い歳の取り方ができるといいな。

25歳はどうだったか

25歳を振り返ってみると、それなりに大変だった。ひとことで言うと、自信を失っていた。けれども、振り返ると悪いことばかりではない。なにもかもうまくいかないと思っていたときに読んでみた本がきっかけで考え方が前向きになった。本を読む習慣も身についた。いろいろと厳しいことを言われる状況にいたけれど、それがきっかけでひとつのものにこだわりを持つ力や、粘り強さがついた。自分が案外負けず嫌いなことを知った。精神年齢がちょっと上がったのか、感情のざわつきが穏やかになった。とは言え、負荷の高い生活は半年ぐらいが限界で、だんだんと何もしていないのに涙が出るとか、胃が痛むとか、食べ物の味がわからなくなったりした。夏ぐらいだったかな。

いまは、とても幸福に過ごしている。けれど、かつての自分だったら今の状況に感謝することはできなかっただろう。自分が弱ることで、人の優しさや痛みがわかるようになり感じ方が変わったのだと思う。自分自身も、少しは人に優しくできるようになった。この25歳のこの半年のことは、思い出しただけでも悲しい気持ちになる。けれど、この半年があったからこそ、素敵な生き方に出会えることができた。(あと、当時心配をかけてくれたみなさん、本当にありがとうございました!)


心境だけではなくて、プライベートでやっていることについてもすこし。去年に引き続き、今年もいくつかのプロジェクトに関わった。プログラミングを教えたり、カンファレンスのスタッフをしたり。今年はそれに加え、デザインの幅を広げるために知人から頼まれたデザインの仕事をやるようにもなった。何事にも失敗ばかりだったけれど、学んだことは計り知れない。スケジュール調整力やプロジェクト進行管理力はこの一年でずいぶんと培われたように思う。

26歳はどうしたいか

自分の価値を上げる

去年くらいからweb業界以外の人と話すようになって思うのは、世の中にはデザインとプログラムの両方できる人はあまりいないし、需要があるということ。仕事というのは「多くの人が面倒だと感じているものをかわりにやる」「できる人が限られていることで、多くの人が喜ぶことする」のどちらかだと思っていて、同じ時間に対する仕事の価値が高くなるのは後者だ。今まではグラフィックデザインが苦手だからその克服方法を探していた。しかしそれよりも得意で夢中になれるプログラムのほうを伸ばしたほうが、自分の武器になるのではないかと思っている。死ぬまでにとにかく楽しいことをできるだけたくさんやりたいから、自分にしかできないことをもっと探したい。

じっくりと物事に取り組む

25歳の1年は、「様々なことをたくさんやる」ことに重点を置いていた。26歳では「ひとつのことを深堀してじっくり作り上げる」仕事をやりたいと思っている。「情報を伝えるもの」で終わらないで、「ストーリーが味わえるもの」を作れるようになりたいな。

マネジメントについて学ぶ

ここ数年で、人の世話を焼いたり尽くすことが楽しくなってきた。仕事とは別軸のことだと思っていたけれど、「サーバント型のリーダー」という概念を知ってからはすこし興味が湧いている。自分がマネージャーになるイメージは無いけれど、マネジメントについて学ぶとチームやプロジェクト運用について何かヒントが得られるのでは?と思ったので、まずは知識を得てみようと思う。

最後に

というわけで、よければマネジメントについての本などをください!
アマゾンの欲しいものリストです。

東京に行ってた

金曜日に「デザイン山アワー」というイベントがあったので、東京に行ってた。土曜日にちょっと観光して帰って来た。

デザイン山アワー

受付をペパボのみずえちゃんと。みずえちゃんとは大学時代に就活で知り合った友達。説明会のときにたまたま隣に座っていて話した、くらいの。当時はお互いに就職先が決まっていなかったので、まさか一緒に受付することになるとは…と感慨深かった。

なおめめさんが「自分のサービスをかわいがる」って言ってたのがすごい良かった。かわいがる、なんて良いことばなんでしょう。かわいがり方も良かった。話しぶりから、かわいがってる様子も伝わった。自分たちのプロダクトの見え方に敏感でありたい。デミさんのSUZURIの話も良かった。キャラを作ってユーザーに親しんでもらうのって想像するより何倍も難しそう! けどスリスリくんはローンチ当初からブレずにずっとかわいい。特定のファンが付くようなサービスを作っていきたいなあ。「価値観を作る」という仕事、とてもおもしろそうだ。
「はてなとペパボのデザイン山アワー」を開催します #yamahour - Hatena Design Group

ICC オープン・スペース 2016

土曜の朝は初台のICCに行った。メディア系の作品がたくさん置いてあって面白かった。アカデミックで実験的なものも多かった。「この発想があったか!」みたいな、普段当たり前すぎて疑問に思えていないものがたくさんあるなあと実感した。
ICC | オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス

余談だけど、東京の曲がった坂道の切れ間にドーンと大きなビルがある風景がなんだか好きだ。京都の道はまっすぐで坂はないし、大きな建物もない。

森美術館 宇宙と芸術展

「宇宙と芸術展」を見た。平面天体図のアストロラーベというのがすごくかっこよかった。距離をはかる機械なんだけど、プロダクト自体に「精密さ」が感じられるデザインだった。見た目からどういうものかわかるのって、すごく良いなあ。
あと、かぐや姫は宇宙人だったのか?みたいなのベタだけどロマンがあっていい…。
宇宙と芸術展 | 森美術館

21_21 デザインの解剖展

「デザインの解剖展」を見た。オープニングトークを予約していたので、佐藤卓さんと岡崎智弘さんが話しているのを聞けた。展示品を作ったクリエイターが、そのコンセプトや考えてることを話す。普通に見てると、ここまで考えて作ってたんだ!みたいなのわからないけど、そういうのが本当に細かく聞けてとても面白かった。
21_21 DESIGN SIGHT | 「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」 | 開催概要



普段くらしているときいるときに、観察するとか考察するとかがまだまだ足りてないなあ、というのに気づく2日間だった。もっともっと細部を見て、なぜだろう?って疑問を持って、精密なデザインができるようになりたい。ときどき東京に行くと、ふと自分の歩く道を振り返るようなきっかけになる。襟を正してしゃんとしていきたい。